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被災後の福島県相双地区のがん治療の状況調査と今後の対応についての意見交換会(2011.05.27)

被災後の福島県相双地区のがん治療の状況調査と今後の対応についての意見交換会(2011.05.27)

 平成23年5月19日(木)、午前9時に加齢医学研究所に集合、長町インターから仙台東部道路、国道6号線を経由して南相馬市立総合病院に午前11時頃に到着。南相馬市立総合病院、渡邉病院、鹿島厚生病院および公立相馬総合病院の順に病院を訪問して下記の議事内容の意見交換を行った。

南相馬市立総合病院

日時 平成23年5月19日(金)11:00~12:00
場所 上記、院長室
参加者 金澤 幸夫先生(院長)、石岡 千加史(東北大学腫瘍内科)、森 隆弘(東北大学がんセンター)

1. 震災直後から現在まで

 本病院は福島第1原発より30キロ圏内に存在する。

 3月11日の地震後というよりは、3月12日の福島第1原発の水素爆発後に状況が一変した。市より住民に対して避難が勧められたため(実際に多くの住民が避難した)、入院患者の退院や転院を始めたところ、3月18日に国の方針として入院患者をなくす事になった。このため、当時の入院患者159名全員が転院となった(新潟へ92名、福島県内の他地域へ67名。新潟での受け入れ先は患者の事情ではなく、新潟でのトリアージにより転院先が決められた)。以後、入院患者無しの状況が続いた。5月16日以降は脳卒中患者5床に限り(ひとり3日間まで)許可となった(これはこの地域の他の病院に脳神経外科医が居ないという状況も関係する)。従って、現在、がん患者の入院はない。

 外来については、震災前は平均350名/日であったが、現在は100?250名(平均150名前後)/日になっている。これはこの医療圏の人口がほぼ半減してしまったことによるものと推察される。(南相馬の人口は震災前は約7万であった。その後は推測であるが、1.5万まで減少後、住民が戻ってきている事もあり、現在は3?4万と推測される)

 がんの外来化学療法はもともと肺癌患者が多いという病院の特徴があり、震災前も約半数が肺癌患者であった。震災後も少数は外来で継続中の患者もいるが、主に福島市(県立医大の呼吸器内科)や宮城県立がんセンターに転医した。行方不明者は居ないとの事であった。

 手術については昨年の年間手術症例は全身麻酔が114例で大腸癌が多い傾向(26例)であるが、震災後は入院を取れないので手術は不能となった。現在、新規のケースが出た場合は公立相馬病院、福島医大、宮城県立がんセンターを主な紹介先と考えているとの事であった。  放射線治療はもともと行っていない。

 緩和医療についてはもともと在宅が少なく、入院での対応が主であったが、現在、入院が取れないので対応出来ていない。
今回の震災や原発事故を契機に医師が3名退職し、また、看護師が10名退職、5名が休職か他病院へ出向した。また、これとは別に現在手術が不能なため(上記)と、国の方針でこの地域には妊婦や小児の居住が禁止されているため、外科医、産婦人科医、小児科医の需要が全く想定されない。このため、これらの科の医師4名は他の病院へ派遣ないしは移動となった。

2. 今後の見通し

 原発事故の今後が不透明なため、本病院の今後についても見通しがたたないとのことであった。現在、地域の需要があるため、外来だけ継続しているが、この状態だと経費からは赤字であり、この状況が継続するほど赤字は膨張する見通しとの事であった。このように入院医療もいつ認可されるかわからない状況であり、スタッフも上記のように減少、特に退職した医師や看護師が、このような状況で今後、再就職する保証も無く、病院の機能が以前のレベルに復帰する見通しはない。また、他の地域では見られた全国からの医療支援についても南相馬には原発の問題から入って来ない団体が多かった。諏訪中央病院などが個別に入っただけだったとの事であった。

医療法人伸裕会渡辺病院

日時 平成23年5月19日(金)午後12:15~13:15
場所 上記、医局
参加者 渡辺 泰章先生(理事長)、佐藤 良彦殿(事務長)、木幡 学殿(業務課マネージャー)、石岡 千加史(東北大学腫瘍内科)、森 隆弘(東北大学がんセンター)

 南相馬市立総合病院での討議後、渡辺病院病院へ移動し、下記の討議を行った。車での移動中、車窓より南相馬市中心部(原町区)を観察したが、日中の市街中心部にも関わらず、歩行者の姿はほとんどなく、また、(運転中の)住民はほとんどがマスクを着用していた。また、一般車両も少なく、自衛隊や警察関係の車両が多く見られた。一部に営業している商店は見かけ、大幅に減少した市民が徐々に戻っては来ている様子は見られた(上記参照)。

1. 震災直後から現在まで

 本病院も福島第1原発より30キロ圏内に存在する。

 地震後では原町地区ではライフラインの被害は少なかった。しかし、3月12日の原発の水素爆発後、状況が一変し、住民は多くが避難を始めた。同病院でも入院患者の避難を開始し、3月18日までには完了した。また、併設している老健施設などもあったが、こちらもその後、全員を転院、3月23日から休業となった。転院先は長岡、日光、会津などが主なところであった。3月12日以降は物資も入ってこなかったため、また職員も避難などで激減したため(140が20名に)、残った全員で対応した。食料も自力で準備したとの事。

 現在、入院は依然として行政府から認められてない。
 外来は4月4日に再開した。上記のように南相馬市の人口が半減したため、外来患者数も半減している。
 震災前は外科や整形外科を中心に手術も行われていたが、現在、入院機能も無いため施行できない状況である。
 緩和については入院で行っていたが現在は対応出来ない。訪問看護は5月に入ってから再開したとの事であった。

2. 今後の見通し

 南相馬市立病院と同様に、原発事故の今後が不透明なため、本病院の今後についても見通しがたたない。現在、地域の需要に答えるために外来だけ継続しているが、やはり、入院医療もいつ認可されるかわからない状況であり、またスタッフも上記のように大幅に減少、特に退職した医師や看護師が今後、再就職する保証はなく、一度離れてしまった医師、看護師などの人集めから始めなければならず、全く見通しがたたないとの事であった。特に本病院のように公的病院でない場合、採算性の問題から、(地域の需要に応えるためとはいえ)めどが立たないままに医療を継続していくことはかなり困難であるとの事であった。

福島県南相馬市原町区の
がん医療

 南相馬市原町区の医療事情は、原発問題により、国から居住の制限(避難区域、避難準備区域)、および医療機関に対して入院機能の停止を指示されたという点で、これ