文字サイズ

カラー設定

職員専用ページ職員専用ページ

東北大学病院

お問い合わせはこちら
(平日 8:30~17:15)
TEL 022-717-7000
診療時間
平日 8:30~17:15 中国体彩网 8:00
診療受付 8:30~11:00
再診受付機8:00~17:15
休診日
土?日?祝?年末年始(12/29~1/3)
TEL 022-717-7000
時間外?休診日
022-717-7024
交通アクセス 交通アクセス
アクセスアクセス
TUHメールマガジン

被災後の福島県相双地区のがん治療の状況調査と今後の対応についての意見交換会(2011.05.27)

被災後の福島県相双地区のがん治療の状況調査と今後の対応についての意見交換会(2011.05.27)

 平成23年5月19日(木)、午前9時に加齢医学研究所に集合、長町インターから仙台東部道路、国道6号線を経由して南相馬市立総合病院に午前11時頃に到着。南相馬市立総合病院、渡邉病院、鹿島厚生病院および公立相馬総合病院の順に病院を訪問して下記の議事内容の意見交換を行った。

南相馬市立総合病院

日時 平成23年5月19日(金)11:00~12:00
場所 上記、院長室
参加者 金澤 幸夫先生(院長)、石岡 千加史(東北大学腫瘍内科)、森 隆弘(東北大学がんセンター)

1. 震災直後から現在まで

 本病院は福島第1原発より30キロ圏内に存在する。

 3月11日の地震後というよりは、3月12日の福島第1原発の水素爆発後に状況が一変した。市より住民に対して避難が勧められたため(実際に多くの住民が避難した)、入院患者の退院や転院を始めたところ、3月18日に国の方針として入院患者をなくす事になった。このため、当時の入院患者159名全員が転院となった(新潟へ92名、福島県内の他地域へ67名。新潟での受け入れ先は患者の事情ではなく、新潟でのトリアージにより転院先が決められた)。以後、入院患者無しの状況が続いた。5月16日以降は脳卒中患者5床に限り(ひとり3日間まで)許可となった(これはこの地域の他の病院に脳神経外科医が居ないという状況も関係する)。従って、現在、がん患者の入院はない。

 外来については、震災前は平均350名/日であったが、現在は100?250名(平均150名前後)/日になっている。これはこの医療圏の人口がほぼ半減してしまったことによるものと推察される。(南相馬の人口は震災前は約7万であった。その後は推測であるが、1.5万まで減少後、住民が戻ってきている事もあり、現在は3?4万と推測される)

 がんの外来化学療法はもともと肺癌患者が多いという病院の特徴があり、震災前も約半数が肺癌患者であった。震災後も少数は外来で継続中の患者もいるが、主に福島市(県立医大の呼吸器内科)や宮城県立がんセンターに転医した。行方不明者は居ないとの事であった。

 手術については昨年の年間手術症例は全身麻酔が114例で大腸癌が多い傾向(26例)であるが、震災後は入院を取れないので手術は不能となった。現在、新規のケースが出た場合は公立相馬病院、福島医大、宮城県立がんセンターを主な紹介先と考えているとの事であった。  放射線治療はもともと行っていない。

 緩和医療についてはもともと在宅が少なく、入院での対応が主であったが、現在、入院が取れないので対応出来ていない。
今回の震災や原発事故を契機に医師が3名退職し、また、看護師が10名退職、5名が休職か他病院へ出向した。また、これとは別に現在手術が不能なため(上記)と、国の方針でこの地域には妊婦や小児の居住が禁止されているため、外科医、産婦人科医、小児科医の需要が全く想定されない。このため、これらの科の医師4名は他の病院へ派遣ないしは移動となった。

2. 今後の見通し

 原発事故の今後が不透明なため、本病院の今後についても見通しがたたないとのことであった。現在、地域の需要があるため、外来だけ継続しているが、この状態だと経費からは赤字であり、この状況が継続するほど赤字は膨張する見通しとの事であった。このように入院医療もいつ認可されるかわからない状況であり、スタッフも上記のように減少、特に退職した医師や看護師が、このような状況で今後、再就職する保証も無く、病院の機能が以前のレベルに復帰する見通しはない。また、他の地域では見られた全国からの医療支援についても南相馬には原発の問題から入って来ない団体が多かった。諏訪中央病院などが個別に入っただけだったとの事であった。

医療法人伸裕会渡辺病院

日時 平成23年5月19日(金)午後12:15~13:15
場所 上記、医局
参加者 渡辺 泰章先生(理事長)、佐藤 良彦殿(事務長)、木幡 学殿(業務課マネージャー)、石岡 千加史(東北大学腫瘍内科)、森 隆弘(東北大学がんセンター)

 南相馬市立総合病院での討議後、渡辺病院病院へ移動し、下記の討議を行った。車での移動中、車窓より南相馬市中心部(原町区)を観察したが、日中の市街中心部にも関わらず、歩行者の姿はほとんどなく、また、(運転中の)住民はほとんどがマスクを着用していた。また、一般車両も少なく、自衛隊や警察関係の車両が多く見られた。一部に営業している商店は見かけ、大幅に減少した市民が徐々に戻っては来ている様子は見られた(上記参照)。

1. 震災直後から現在まで

 本病院も福島第1原発より30キロ圏内に存在する。

 地震後では原町地区ではライフラインの被害は少なかった。しかし、3月12日の原発の水素爆発後、状況が一変し、住民は多くが避難を始めた。同病院でも入院患者の避難を開始し、3月18日までには完了した。また、併設している老健施設などもあったが、こちらもその後、全員を転院、3月23日から休業となった。転院先は長岡、日光、会津などが主なところであった。3月12日以降は物資も入ってこなかったため、また職員も避難などで激減したため(140が20名に)、残った全員で対応した。食料も自力で準備したとの事。

 現在、入院は依然として行政府から認められてない。
 外来は4月4日に再開した。上記のように南相馬市の人口が半減したため、外来患者数も半減している。
 震災前は外科や整形外科を中心に手術も行われていたが、現在、入院機能も無いため施行できない状況である。
 緩和については入院で行っていたが現在は対応出来ない。訪問看護は5月に入ってから再開したとの事であった。

2. 今後の見通し

 南相馬市立病院と同様に、原発事故の今後が不透明なため、本病院の今後についても見通しがたたない。現在、地域の需要に答えるために外来だけ継続しているが、やはり、入院医療もいつ認可されるかわからない状況であり、またスタッフも上記のように大幅に減少、特に退職した医師や看護師が今後、再就職する保証はなく、一度離れてしまった医師、看護師などの人集めから始めなければならず、全く見通しがたたないとの事であった。特に本病院のように公的病院でない場合、採算性の問題から、(地域の需要に応えるためとはいえ)めどが立たないままに医療を継続していくことはかなり困難であるとの事であった。

福島県南相馬市原町区の
がん医療

 南相馬市原町区の医療事情は、原発問題により、国から居住の制限(避難区域、避難準備区域)、および医療機関に対して入院機能の停止を指示されたという点で、これまで視察してきた他の地域(石巻市、釜石市、大船渡市、いわき市)とは全く異なっていた。

 以前、南相馬原町区全体で800床あった入院機能が現在は0(脳卒中を除く。上記)である。また、上記のように原発事故がこのまま収束に向かうのか、全く不明である。こんな状況で医療を継続されている上記2病院を始め、南相馬市原町区の医療機関に敬意を表する次第である。

 しかしながら、国の施策として住民の居住を制限され、入院機能を禁止された場合、医療機関としては採算性が厳しくなり、経営として成立し得るのだろうか。実際、市内の開業医では廃院したところもあるとのことであった。まして、入院設備をもつ病院はどう対処したら良いのだろうか。また、一度、(国の方針で)規模を縮小した場合に、(今後いつになるのか全く不明であるが)将来再開した際にも以前のようなレベルの医療スタッフが確保出来るのであろうか。

 これらの問題は現在継続中の原発の問題の収束無しではあり得ない。収束後のまちの再興や医療圏の再建に関わる問題である。

 がん医療に関しては、今回、福島県浜通の3次医療圏は原発事故により、2つに分断されてしまった(鉄道も高速道路も一般道路によっても往来出来なくなった)。現在、放射線治療が可能な病院はこの3次医療圏にはいわき市にしか存在せず、こういった状況からは相双地区にも放射線治療が可能な拠点病院が必要であるように思われる。しかしながら、これは上記のように原発問題の収束後の、この地区全体の再興の問題と密接に関係しており、これは南相馬市や相馬市だけの問題ではなく、福島県全体や、近接する宮城県南部も含めた広域な医療圏の再建の問題としてとらえるべきであろう。従って、福島県、宮城県、そして、当然、国が積極的に関与する必要がある。

JA福島厚生連鹿島厚生病院

日時 平成23年5月19日(木)14:00~14:45
場所 上記、事務室
参加者 渡邉 善二郎先生(院長)、石岡 千加史(東北大学腫瘍内科)、森 隆弘(東北大学がんセンター)

原町地区の渡辺病院で討議後、鹿島地区のJA福島厚生連鹿島厚生病院に移動して下記の討議を行った。

1. 震災直後から現在まで

 福島第1原発から北に約32km離れた南相馬市北部に位置するJA福島厚生連病院で同市鹿島地区(旧鹿島町)の中心病院。病床数は80床。なお、南相馬市(人口約7万人)は平成18年に鹿島町、原町市および小高町と1市2町合併により誕生した。震災直後、ライフラインは比較的早期に復旧した。病院建物も決して新しくはないが、一部補修が必要であるものの損壊は少なく、制限無く使用可能であった。しかし、3月12日に原発の問題が明らかになってから、状況が変化。南相馬市が避難準備地域になり、南相馬市長が避難推奨を住民に発したため、この病院が福島第1原発から30km以上離れていたが、入院患者と併設の介護老人保険施設の入所者を一時退院、転院させた。入院患者約60名の転院先は系列のJA厚生連病院や福島県の会津中央病院などであった。また、原発による放射線被ばくの風評から、外部からの物資搬入が止まり、一時的に住民生活が避難し病院は4月1日まで休診した(外来処方は継続)。一時避難により職員数は震災前の60%まで一時的に減少した。避難準備区域である30km圏外であることや、小中学校が開校していることもあって住民や職員の大部分はその後3月末までに戻り、4月1日から外来診療を再開した。5月19日現在、外来患者数はほぼ震災前のレベルまでに戻っている。離職者は1名だけでマンパワーが当初から確保され、かつ施設の損傷が少なかったので入院患者の呼び戻し入院診療の再開を福島県に希望したが、許可が下りず、4月末から許可が下りてようやく入院診療が可能になった。その後、入院患者は順調に増えて5月19日現在約40名が入院している。5月からは福島医大の整形外科と眼科の診療応援が再開し、6月には皮膚科の診療応援が再開する予定である。

 がん診療は外来や入院の休診時期にストップしたが、現在は再開している。手術件数(この病院のがん手術は胃癌、大腸癌が中心)はまだ回復していない。

2. 今後の見通し

 小高地区や原町地区が閉院や病棟閉鎖で入院病床がほぼゼロの状態であるため小高地区や原町地区からの入院患者が今後増加し、満床に近い状態になると予測される。さらに、同院が立地する鹿島地区に仮設住宅が1,000棟建設されることになり、この地区の住民が3,000人増加する。このため、同院では80床では足りなくなるため仮設病棟を建設して増床できないか検討中である。その際、小高地区や原町地区の休診中の医療スタッフをマンパワーとして期待している。がん診療に関しては、がん検診が再開しないと手術は以前の状態には戻らない可能性がある。また、今後の課題として、併設の介護老人保険施設の運営を含めてこの地区の老人医療や介護をどのように進めるかが検討課題である。

公立相馬総合病院

日時 平成23年5月19日(木)15:00~16:00
場所 院長室
参加者 熊 佳伸先生(院長)、反畑 雅博(事務部長)、石岡 千加史(東北大学腫瘍内科)、森 隆弘(東北大学がんセンター)

 南相馬市鹿島地区の鹿島厚生病院で討議後、相馬市の公立相馬総合病院に移動して下記の討議を行った。

1. 震災直後から現在まで

 福島第1原発から北に約45km離れた人口約4万人の相馬市街中心に位置する公立病院。病床数は226床で平均在院日数14日、1日入退院数が約20名の同市の基幹総合病院。福島県浜通りの北部で宮城県境に近いため、患者の30%程度は宮城県から。また、患者の紹介先としても宮城県内の病院(東北大学病院や宮城県立がんセンターなど)が比較的多い特徴がある病院。相馬市沿岸部は津波被害があり3月12日に発生した原発事故による放射能拡散の問題が明らかになった後も、4万人の人口はほとんど減少しなかった。福島医大のDMATや医師会のJMAT等が相馬市に入り医療支援活動が行われた。これらの点は、避難準備区域になり人口が著しく減少し、医療支援がほとんど入らなかった南相馬市と状況が大きく異なる。同院では津波で職員3名が死亡、職員の自宅の全半壊が30名(全職員280名の10%以上)と被害は大きかったが、職員のほとんど全てが震災後も病院に残って医療に従事した。震災直後、水道と電気が止まったが、相馬市の支援がありライフラインは比較的早期に復旧したことや、病院が交渉して職員の自動車通勤用のガソリンを相馬市から確保したことが病院機能の早期回復に大いに役立ったと考えられる。また、自主的判断で病院の屋上と地上で1時間おきに放射線レベルを測定し、大気中放射線レベルの基準として40μCi/hが3日間以上持続したら病院を閉鎖することを相馬市と取り決め、職員に説明したことが職員の安心に繋がったと考えられる。病院建物は本館が築40年以上経過し今年耐震工事を予定していたが、手術室出入り口の一部補修が必要であったものの大きな損壊はなく、ほぼ制限無く使用可能で病院機能は損なわれなかった。入院診療に関しては、震災前は常時約180名の患者が入院していたが、3月12日に原発の放射能拡散問題が明らかになってから、状況が変化し、退院や転院等により一時約150名まで入院患者が減少した。患者の移送はなかった。しかし、減少は20%以下でありこの点においても病棟閉鎖の南相馬市小高地区や原町地区と状況が異なる。その後、避難準備地域の南相馬市の患者の受入により入院患者数が190名まで増加した。現在は、160~170名で推移し震災前に近い状況に戻っている。外来診療に関しては、震災直後は2週間一般診療を休診し、救急診療と外来処方のみ行っていた。この点は、仙台市内の病院のような被災県内陸部の病院と状況が似ている。外来患者数に関しては、一般外来再開直後は一時的に震災前(1日平均500名弱)より減少したが、南相馬市からの患者流入により現在は震災前より増加し、現在1日500名以上(最高で800名)である。治療に関しては、予定手術が約2週間遅れた。化学療法の多くは入院で行っていたが、これも最長で約2週間遅れが出た。緩和医療に関しては、相馬市の場合、在宅緩和ケアが市内の開業医を中心に行われている。津波の被害が大きい海岸沿いには診療所がほとんど無いので被災した開業医は少なく、このため在宅緩和ケアは震災後も大きな影響を受けなかった。

2. 今後の見通し

 相馬市は、沿岸部の津波被害は大きいものの、原発の影響が少なく、住民避難や学校や病院等の公共施設の閉鎖がほとんど行われなかったため、震災前と同様に今後も地域医療の中心的役割を果たすと考えられる。しかし、原発事故の収束が遅れると南相馬市からの患者受入が増加する事が予想され、現在の規模の病院では対応できなくなり、相馬市の住民の医療サービスが低下する可能性が否定できない。建物は比較的古く今後耐震工事が必要であるが、このような状況から規模を拡張した新病院の建設も視野に入れていると伺った。その際、放射線治療装置の導入が検討されており、実現すれば、宮城県名取市といわき市の間の沿岸部に唯一の放射線治療設備となる。

南相馬、相馬地区のがん医療

 福島県浜通りの北部には相双地区(相馬と双葉)としての経済文化圏があるが、福島第1原発の20km圏内の双葉地区は現在全住民が避難しているため、今回の視察は相双地区のうちの相馬地区を対象とした。相馬市は、歴史的に仙台市との結びつきが比較的強く、JR常磐線を利用した患者の移動が容易であり、公立相馬総合病院では前述のように患者の40%は宮城県から来院している。また、福島市から自動車で約1時間30分の距離にあり、最近では、医師は福島医大と東北大学から確保してきた。津波被害によりJR常磐線の復旧目処が立たない現在、以前から計画されていた仙台東道路と相馬市を結ぶ常磐自動車道と福島市と相馬市を結ぶ高速道路の早期開通が切望される。また、人口4万人の相馬市の基幹病院である公立相馬病院は、現在、人口7万人の南相馬市の患者の一部を受け入れている。

 一方、福島第1原発から30km圏内の南相馬市の医療は、原発事故の収束に大きく依存すると言わざるを得ない。原発事故収束の目処が立たない現状では、南相馬市鹿島地区の鹿島厚生病院や相馬市の公立相馬総合病院に住民医療をある程度依存する必要がある。長期化した場合には南相馬市の多くの病院や診療所の経営困難が生じ、医療従事者の他の地域への異動や離職が進むのではないかと危惧される。 このような相馬市と南相馬市の状況を考えて、鹿島厚生病院と公立相馬総合病院の亮院長からは一部または全部休診している南相馬市(小高地区や原町地区)の医療従事者のマンパワーを30km圏外の鹿島地区か相馬市で活用することが合理的ではないかとの意見が出された。この件に関して、鹿島厚生病院長からは仮設病棟を建設し休診中の医療スタッフのマンパワーを借りて運営する案や、公立相馬総合病院長からはさらに大きく踏み込んで。公立相馬総合病院と南相馬市立総合病院を統合し、相馬市と南相馬市をカバーできる400~450床規模の中核病院を新築する案の説明があり、今後、この地区の医療を考える上で大変重要な時期にあると考えられる。

 相馬および南相馬地区では東北がんネットワークと東北大学病院がんセンターとして喫緊に人的あるいは物質的な援助が求められてはいないと考えられるが、原発の収束が長引く場合には、その影響が少ない相馬市や南相馬市鹿島地区周辺に新しい医療拠点の建設が必要になるかもしれない。その場合は、東北大学や福島県立医科大学が従来以上に人材派遣が求められる可能性がある。

 以上の4病院での討議の後、国道6号線を経由し、亘理市、岩沼市、名取市沿岸部、仙台空港や東北大学漕艇部名取艇庫周辺の貞山堀などの津波被害地域の被災状況、がれき撤去状況や道路復旧状況を見て、午後7時頃に加齢医学研究所に到着、解散した。

pageTop