もう6~7年も前のこと、当時気仙沼の仮設住宅に住んでいた女性から打ち明け話をされた。「同じ仮設の人たちと話すのがむずかしくなったの。なにを話してもトゲが立つようで」と彼女は言った。仮設住宅には東日本大地震で自宅を被災した人たちが住んでおり、互いに励まし、助け合い暮らしてきた。だが震災から日が経つにつれ、みなそれぞれに進む道を決め、住人の境遇もさまざまになっていった。自宅の再建に着手した人、公営住宅に申し込んだ人、まだ先が決まらずにいる人。だから家族のことも家のことも、なにを話してもだれかを傷つける気がして話せなくなり、住人同士の会話がめっきり減ったのだと言う。「それでね」と彼女は続けた。「仮設に畑をつくったの。植物はいいわよ、ただ光を浴びてぐんぐん育って。『芽が出ましたね』『大きくなりましたね』って、畑のおかげでまたみんな話せるようになったわ」そのしなやかな知恵に感銘を受けた。
私たちが住む世界はいつだって、考え方も境遇もさまざまな人が暮らしている。その違いを乗り越えて、互いにたのしく暮らすための知恵を身につけていたいものだといまあらためて思う。
御手洗 瑞子
株式会社気仙沼ニッティング代表取締役。東京都出身。2010年より、ブータン王国政府に首相フェローとして勤め、産業育成に従事。東日本大震災後の2012年、気仙沼市にて高品質の手編みニットをつくる「気仙沼ニッティング」を起ち上げる。
※東北大学病院広報誌「hesso」35号(2022年8月31日発行)より転載