「Ray」は、ソウル音楽の神様、レイ?チャールズの人生の旅を綴った映画である。数々の名曲は、ジェイミー?フォックスの名演と相まってブラックミュージックの魂を感じさせる。
私は少年時代を広島で過ごした。雑誌の付録で組み立てたラジオは、期せずして岩国の米軍基地からノイズと共にさまざまな米国の音楽を運んできてくれた。子供心ながらまだ見ぬ開放的な文化への想いを募らせた。また、週末の深夜にかけて流れてくるジャズ、ソウル、R&B、ゴスペル音楽には、在日米軍兵士の遠い故郷を想う哀愁を感じた。
大学に入学して数年後、心の奥底にある何かに駆り立てられ、旅に出た。リュックサックを背負い、格安航空券を握って到着した場所はシカゴ。お目当てはブラックミュージック。こわごわレッドラインに乗り、マディ?ウォーターズの泥臭いシカゴ?ブルースを求めてライブハウスを巡った。想像していたより都会的な音楽に物足りなさを感じた私は、朴訥なデルタ?ブルースを求め、グレイハウンドバスに乗り込んだ。
ミシシッピ川に沿って南下すると、メンフィスに着いた。ロバート?ジョンソンのルーツを探したが、どちらかというとエルヴィス?プレスリーで観光地化された街にはロックンロールが溢れていた。ただ、初めての地なのになぜか懐かしさが五感に訴えてくる。そこには少年時代にラジオから流れていたあの風情があった。言葉に表せない高揚感を後に、再びミシシッピを下った。
ニューオリンズは、当時胸に秘めていた複雑で微妙な感性を刺激してくれる街だった。バーボンストリートを歩くと大好きなStingの曲が頭から離れない。店内からは古風なディキシーランド?ジャズが漏れ聞こえ、路上にはファンキーなジャズやケイジャン音楽が溢れ、飽きることはない。アン?ライス小説の舞台だけに、ヴァンパイアがいても不思議ではない錯覚に陥る。このお祭りのようなカオスは、いつか夢の中で見た光景に思えた。この旅は、今でも自分を形成している核の一部であり、ストレスが溜まったときには、当時の音楽や光景が私をリセットしてくれる。
さて、「Ray」である。盲目の天才ミュージシャンの感性を絶妙に描いた映像と音楽は、視覚や聴覚に訴え感動を与えてくれるだけでなく、あの旅で体感した米国南部の空気、味や臭いまで呼び起こし、不思議なノスタルジーを駆り立てる。私にとって、気分転換や自分を見つめなおしたい時、ハードリカーを飲みながら浸ってしまう作品なのである。